研究成果を振りかざすときは、外的妥当性を頭の片隅に置いてほしい

こんにちは、ごんごんです。

インターネットなどで、隙あれば研究結果を引用して論破しようとしてくる人に会ったことはありますか?
厳密な研究を経た論文は基本的に正しいと考えられますが、その研究結果を現在目の前の事象に類推適用できるか別の問題です。
これを「外的妥当性」と言い、今回はこちらをテーマに執筆します。

研究結果の外的妥当性とは

日常会話や、SNS、ネット掲示板で隙があれば「この問題は○○大の△△氏が研究で結論を出していたよ」という人に遭遇したことはありますか?
私の中で、「隙あらば論文引用ニキ」と勝手に名付けています。

そうした方々をよく目にする時に、私はよく「外的妥当性」があまり考慮されていないのではないかと感じています。
外的妥当性とは、「それ以前に行われた科学的な研究結果を、研究を行った条件以外に適用できるかの妥当性」です。
要するに、その実験が一般化して他の場合で適用できるかどうかということです。

ちなみに、似た言葉で「内的妥当性」があります。
内的妥当性は、その研究自体が正しいかどうかという意味で使われます。

学問の本質は過去の知見の積み重ね

学問の世界では「巨人の肩に立つ(乗る)」という表現が使われます。
これは、先人たちが蓄積してきた知見を利用し、その先にある真理を探求するという意味です。
かの有名なニュートンもこの表現を使ったとされており、学問(アカデミズム)の本質は積み重ねであり、過去の研究成果を使わなければ短い人生で新しい発見を行うことは困難です。

そういった視点から考えると、眼前の問題に対して、過去の研究を当てはめるという行為は悪いことではありません。
むしろ、学問が発展した歴史から考えると至極当然のことでもあります。

しかし、最近は過去の研究結果が目に余る使い方をされているような印象です。
過去に行われた研究成果を披露するのは知的に見えて承認欲求が満たされるのでしょうが、頭の片隅に外定期妥当性の観点からあまりにも飛躍しすぎてないかと一歩引いて考えてみるのが大事だと思います。

外的妥当性の例

外的妥当性を理解するにあたって、極端な例を考えてみましょう。

現在あなたが治療方法が確立されていない難病にかかっているとしましょう。
そんななか、科学者集団によって同じ病気にかかったモルモットを実験台にして、有効な治療方法が見つかったとのニュースが届きました。

仮にモルモットにはその治療方法が有効だったとしましょう。(内的妥当性は担保)
しかし、人間であるあなたにその治療法が本当に聞くのでしょうか。
この問題はまさしく外的妥当性です。

上の例は非常に極端な例でしたが、米国で立証された結果が日本で同様に適用されるかという外的妥当性の問題は現実的によくあります
米国人と日本人では人種や食生活、環境も異なるため、同じ実験をしても同様の結果が得られる保証はまったくありません。

外的妥当性を担保するには

では、外的妥当性を担保するためにはどうしたらいいでしょう。

先程の米国人と日本人の例で考えます。
究極的には、米国人・日本人だけでなく、広く人類に当てはまる結果を導き出せるとよいはずです。
つまり、全人類から無作為に標本を抽出することで、国籍や性別、年齢などの影響を消してしまえばいいのです。
こうした実験手法はランダム化比較実験と呼ばれており、因果関係を含めた分析が可能となる強力な手法です。

しかし、ランダム化比較実験では先程の例で見たように確立していない治療法を無作為に試すというような場合は倫理的に問題があります。
こうした場合には、モルモットからもう少し人間に近い動物にシフトしていくなど、外的妥当性を少しずつ検証していき、妥当な範囲を広げていくことも考えられます。

まとめ

今回は外的妥当性について執筆しました。
概要は以下です。

・外的妥当性とは「過去の研究結果が他の事例においても適用が可能かどうか」
・学問は先人の知見の積み重ねであり、過去の研究結果を援用するのは良いが、外的妥当性は頭の片隅においておこう

少しでも参考になったなら幸いです。

雑記統計

Posted by gongon